2013年4月27日土曜日

靖国神社をとやかく云わせないために

今は、前政府に比べれば安泰しているように思えて
国民はみんなほっとしていると思います。

私は、消費税の問題がひっかかります。
税率を動かす度に、レジスターの操作を変えねばならず
そして、その商品が何%の消費税で入荷しているのかを
確認しなければなりません。
3%から5%になった時にも、販売も仕入れも
何かどこかでミスが起きます。
政治家の皆様は“商い”などほとんど知らない方ばかり
ですからこの悩みは分かって頂きにくいと思います。
株は上がっても、又、いつ下がるか分からないし、
素人には先が読めません。
円の問題も同様です。

それらはさておき、何かの問題が起きた時必ず出てくるのが、
閣僚が靖国神社に参ったという事です。
私は、昭和8年生まれですから、
大臣の皆様は私よりずっと若いです。

私が高校3年生の時、ロサンゼルスで吉田総理が
長い長い文章で、日本が独立国家になれた事を
宣言しました。それでも、マッカーサーという
天皇と並べられる大物の存在がありましたから
何もかも自由にはなりませんでした。
又、この戦争を始めたという事で、
昭和天皇に対してよく思っていなかった
大人が沢山いた事を、私は子供心に知っていました。
ところが、昭和天皇が日本中の隅々まで
御廻りになられた事で、天皇を直接
目の当たりにした国民は、自然に頭が下がり、
天皇に対するくすぶった気分が
きれいに一掃されました。

私が母から聞いた話ですが、
天皇陛下が台に立たれると、自然に頭が下がり
天皇は立派だ、大切だと人民の心持ちが
一変したそうです。
マッカーサーの指示か、吉田総理の考えか
分からないけれど、昭和天皇が全国津々浦々
足をのばされ国民と直接お会いした事は
日本国の平和を維持する上で大きな成果があったと
70才過ぎた私は考えています。

閣僚とか政府の人間が靖国神社へ参ったというだけで
問題にしてしまいます。

私が未だ小学生の頃、近所の若いお兄さん達が
毎日のように出征して行きました。
挨拶に来ると、うちの大人との話の中で
「靖国で会おう。」「同僚と話します。」と云って
帰りのガソリンのない特攻の飛行機で
喜んで死んでゆきました。

その時の言葉が、必ず
靖国で会える」「靖国で会おうよ」という
フレーズであった事を私は70年経っても
しっかり覚えています。
彼らは、自分たちの行動が国を助け、
国民が幸福になるんだと思っていたんです。
だから、命は惜しくない。
先ず国家の為に、そして靖国で、
又、同僚に会えるんだと思って
みんな出征していきました。

こういう人達が、神として靖国神社に祭られているのを
政府の閣僚が参って何が問題なんでしょう。
問題は、戦争を起こした人達。
その中心になって戦争を指揮してきた人達
(特定の名前は書かないが) は確実に戦犯です。
靖国神社は、なぜこういう人達までお祭りするのか。
深い理由があるようですが、
私如き人間には理解できません。

私も父を召集兵として、32才で国へ差し出し
5人の子供、老両親、そして最愛の妻を残して
ついに帰って来ませんでした。
悲劇をいっぱい抱えた人達も祭られていますが
私は、父の仇を打とうと、色々な本を読みましたが
終に分かりません。
でも戦争を企て、大東亜共和圏などと、
嘯いていた人達は、私の父の敵だと
今でも、私は思っています。

もう今更、仕分けはできないかも分からないけれど
A・B・C級戦犯とされた人達の霊を
靖国神社からおろして下さい。
戦を仕事とする 軍人が、国家を牛耳れば
必ず戦争になります。
この人達の霊は、他の場所で遺族が弔ってください。
そして、靖国神社は真白な心の勇士の霊だけに
して下さい。
そうなれば、近隣国も文句は云えないと思います。
99%の善良な若い日本人の魂を、きちんと弔って下さい。
そして、重ねて書きます。
戦犯の霊は全部、はずして下さい。
神社の何か規律があるようですが、
靖国神社だけは別格です。
ぜひぜひ、お願いいたします。




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2013年4月20日土曜日

本離れの時代、本読み人を育てよう

神奈川新聞の記者さんが、
「今時、紙芝居なんて売っている店が
あるのか。」と驚き、
イセザキ書房へ入って来て話を聞いた。
電化された様々なお遊び道具の
沢山ある現代、紙芝居なんてー!
と思ったと云われた。

つい先日の話です。
そして、神奈川新聞の記事にしてくれました。
私共が、紙芝居を扱い初めて
もう5年目に入りました。
YMCAで絵本の読み聞かせを
させていただいたのですが、
読み聞かせは、せいぜい5~6人の
お子さんまで。
それ以上になると、見えない、聞こえない
という事で去ってしまう。

そこで、私は考えた。
その結果、紙芝居なら30人位までなら
OKだろう。早速、紙芝居に変えてみると、
お子さんもさる事ながら、ついて来ている
お母さん達も「お上手ね。」と
褒めてくれて、一生懸命観てくれる。
子供達もお話に夢中になって
「昔は、どうしておじいさんとおばあさん
ばかりなの?」と聞かれた。
私は返事に困った。

私は、自分の事を思い出す。
私は、5人兄弟の長女なので、母と一緒に
夜、寝たのはほとんど覚えていない。
物心ついた頃から祖母と一緒に寝ていた。
祖母は、毎晩私に色々なおとぎばなしを
してくれた。
「おばあちゃん間違えたよ。」と
私が覚えてしまう程、眠るまで色々なお話を
してくれた。
『ももたろう』や『さるかに合戦』などは
未だ幼稚園に上がる前に
私は覚えてしまい、間違えるとすぐに
祖母に報告する。
そのうち、本の中になどない話を
してくれるようになった。

忘れられないのは『山賊』の話。
これは祖母が人から聞いたはなしを
祖母の言葉で、私に話したものだと思う。
こんな話はどこにも絵本などない。
多分、祖母が知り合いから
聞いた話だろうと70年以上も経った今、
思い出している。

これ一話ではなく、祖母は次から次へと
お話をしてくれる。
そしてケチな祖母は、実家がすぐ近くで
長女だったこともあって、
私がそこに沢山絵本がある事を知っていたので
2~3冊借りて来てくれた。

私のおとぎ話は、その借りた本で読んだものが
ほとんどである。
少女時代には、本屋に新刊などなかった時代。
貸し本屋で借りるといっても、子どもの本は
あまりなかった。

私は小学校へ入るなり、教科書があるのが
嬉しかった。
そして、5・6年と受け持ってくれた女先生が
有名な本を国語の時間に読んでくれたり、
その感想文を書かされた。
 
私の経験から、読書するというのは
色々な形があるが、たった一つ云える事は、
小さい時から本や物語に
なじむのが一番だという事!

紙芝居は、読書のスタートです!
それから、絵本や児童書に入り、
文学作品に自然と手が届くように
なるものだと思っている。

本離れと云われ続けて久しいけれど、
一番大切なのは、本屋がある事ではなく、
家庭の中で物語の面白さを子ども達に
知らせる事だと思います。

私の場合、紙芝居を売るというよりも
本読み人を育てるつもりで売っていると
云うべきかと思います。

本を読まねば心が育ちません。
社会の平和のためにも
読書は必須です!




♪ ゴールデンウィーク中の営業のお知らせ ♪

   5月5日(日)
     6日(月) 

  は誠に勝手ながらお休みさせていただきます。
  よろしくお願い致します。







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2013年4月13日土曜日

私が20年若かったらやりたかった

 先日来、日経新聞に《日本で一番安全な県》として
四国の全国一小さい香川県が大きく掲載されていた。
何を隠そう、私は香川県産の人間です。
生まれてから21年間、香川県さぬき市津田という
海辺の町で新鮮な魚を食べて育ちました。

記事によれば、国家の重要書、
また、大企業の重要な物を香川県の高松市
(県庁所在地)へ移しているそうです。
先月、所用があってたった二晩、
実家に泊って来ましたが、
数えてみれば、私が実家へ行ったのは
もう12年前。
私は、結婚して60年近く経ちますが、6回位。
それも、飛行機で飛んで行き、用事を済ませ
翌日帰るという早業ばかりだった。

外国じゃあるまいし、いくらでも行けるのですが、
店を空けるのはダメと云われて、
20年前まで、亡き夫が生きていた時に
私が実家へ出向くというのはほとんどなかった。

父が召集兵に33才でとられたまま、
フィリピンでの負け戦で、昭和20年6月に戦病死
(野たれ死にだと思う) したので、
母は、5人の子供を抱え、アップアップしながら
生きてきた。
たまたま祖父母が未だ60~70代くらい。
特に私は長女として生まれた初孫だったので、
とてもとてもかわいがられた。

下に妹、弟が生まれてきてからも
私は祖父母の横で夜は眠る事になった。
毎晩、昔話をたくさん話してくれた。
山賊の話なんていうのは、
本にもないので、多分経験した人が
中山道を通った時の話だと思うが、
本当に怖かった。
宿へ泊まると、何か様子がおかしいので
何も食べず、全部窓際の川へ捨ててしまい
食べ終わったふりをして、荷物を頭に
全部くくりつけ川を越えて夜中に逃げ出す
という話。
何度聞いたか分からないけれど、
祖母の話は恐怖心と好奇心が
上手く混っていて、私はいつも
「山賊の話をして」と云って、
それを聞きながら眠ったのものだ。

又、私のおしりに吹き出物が出来て、
塗り薬を付けても何日も治らず、
太陽灯にかけたらよいと云って
高松の病院へ何度も私を連れて行ってくれた。
そのうちに医師が
「レントゲンの方がよいと思う。」と云って
レントゲンを撮るために病院へ行ったのに
その部屋へ入るや否や、
私がその物々しい風景に恐れをなして
「イヤーダ。レントゲンはかけない。」と云って
部屋に入らなかった。

ものすごくお金を大切にする祖母だったので、
津田から高松まで汽車に乗って
わざわざ連れて来たのに、
私がどうしても恐れをなして入らなかった事を
今、80才前にしたこの年令になっても
私は覚えている。
ケチな祖母なのに、私の意に従い
太陽灯だけかけて、汽車に乗って帰って来た。

「智子は利口な子だよ。」 と
私の母に祖母は何度云った事か。
その祖母が亡くなった時も、祖父が亡くなった時も
亡き夫が葬式に「行くな必用ない。」と云って
行かせてもらえなかった。

とても悲しかったけど、私の亡き夫の仕打ちは
度を超えているので、私は泣く泣く、祖母の時も
祖父の時も行かなかった。
今でもそれが心に残って、せめてものと思い
毎朝、仏壇にお茶をあげる時私の横へ台を作り
「おじいさん・おばあさん、ありがとうごめんなさいね」
と声を出して云いながら一番上等の対のお茶碗に
お茶をあげる事にした。

そしてこの度、実家へ行ってみると
弟嫁がきちんとした生活をしながら、
101才の私の母の世話もして、実にけなげに
生きている。
町の様子はまるで変わり、お墓も60年振りに参って
あまり美しくなっているのでびっくり。
町は前回同様、すたれていた。

しかし、津田には根上がり松があり、
松の素晴らしい林がある。
そして、夏は浅瀬の海だから海水浴場として賑わう。
でも、夏だけ。
後はひっそりと松林だけが素晴らしい姿で
広く大きく美しく立派な景観を観せてくれる。

私が子どもの時、2軒あった旅館も売りに出ているが
買い手がないそうだ。
私は、海を観ながら松林を歩き、
私がもう20年若かったらこの美しい景観を
西の観光地として経営したいと思った。
しかし、もう遅い。
残念な思いを残しつつ、今もし出来たら四季を通じて
人を呼べるような観光地にしたいと
強く強く思っている。

いずれ、津田の写真をブログに載せたいと
思います。



     ☆ イセザキ書房が4月13日(土)
            神奈川新聞(朝刊)に紹介されました!☆








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2013年4月6日土曜日

夢を持て、希望を持とう、老いも若きも

3月30日の夜、
NHKのテレビのスイッチを入れると
もう無くなっていたと思われていた
この前の東京オリンピックのバレーの最終戦の
フィルムが見つかったといって放送していた。

私も手に汗を握って応援したというか
感動したというか、見た覚えがあった。

強いソ連に勝つために鬼の監督といわれた
大松監督の回転レシーブの様子が
何度も何度も繰り返された。

そしてその、間に出てきた当時の選手は
私よりも少し若いか、ほぼ同年令に近いと
思われるが、顔を出して
当時の苦しさ、きつさ、
それでも勝たねばならぬ思い出を
夫々語っていた。

それを観ながら私は、今のテレビ画面と
何か違うものを感じ取った。
今も強い競技もあれば、
無念の結果のものもある。

しかし、 私は、50年前の飛び出してきた
フィルムからは異様な心情がわいてきた。
単に、ソ連との戦いのもの、というよりも
日本人の選手の意気込みと表現すべきか
上手く言い表せないが、
私もその時まだ若くて、
オリンピックに、のまれていた人間の
一人だったけど、このフィルムの中から
当時の日本人の根性のたくましさ、気力の
旺盛さという非常に素晴らしいものを
感じ取った。

観終わって、57才で亡くなられたという
大松監督も一生をなげうって戦ったのかと
考えた。
非常に純粋な心情が、画面いっぱいに
拡がっていた。

半世紀経った今、ニュースの中に
手に汗を握るような力強いものは
私の世代ではもうありません。
そして、日本のどこかでだれかが殺された、
自殺した、というニュースが
毎日流される。

私は、戦争時代に生まれ、
招集兵としてついに帰らぬ父は
フィリピンのルソン島で野垂れ死にした。
別れたのは、小学校3年、妹2人、
弟2人の5人兄弟。
父の死を知ったのは、高校1年の時。
そして、高校3年の時、
サンフランシスコ条約で、
日本はやっと独立した。
吉田茂という名政治家というより
名外交家の力は大きかったと思う。

日本の総理もがん張っている事は分かる。
しかし、国民はどうだ。
あのソ連を相手にして戦ったような
気迫は本当に消え失せてしまったように
私は思う。

日本が東洋一の日本として
生きてゆく ためには、全員が国家のために
地球全体のために果たすべき役割が
あると思う。

若い者にだけ苦を背負わず、
老いも若きも大いなる夢と希望に向かって
歩んで行こうではありませんか。


☆ 『イセザキ書房TV』がYoutubeで
   はじまります!まずは予告編です!
   ぜひご覧ください! ☆






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