2013年10月26日土曜日

人間が生きるひとつの形

私は及ばずながら80年という時間を生きた。
決して短い時間ではないが
今思い返すと、あっという間であったように思ったり
随分長い月日であったようにも思う。

20才までは香川県の瀬戸内海の湾の穏やかな町で育った。
京大の法学部へ行こうと計画していたが
当時の我が家の一番の権力者祖母が
「女の子一人で都会に出て暮らすなんて絶対許さん。」と云われ
何とかしようと試行錯誤している時に私の亡き夫に出会い
理路整然と話す言葉、質問に何か新鮮に思われ
彼は5・6人の女性と同時期に見合いをして
夫はひとりひとり点数をつけ評価して私を選んだらしい。

私は父をフィリピンで召集兵として野垂れ死にさせられ
我が家は家の中心を失ってしまい母も悲劇、
5人の子供達は祖父母と母に育てられた。
「東京に来れば大学はいくらでもある。
落ち着いて受験すればよい。」
なんていう亡き夫の言葉にのせられて東海道をのぼって来た。

結婚してみると、家庭というより
商売の為の先輩後輩という形になってしまい
何度叱られ殴られたことか。
そういう教育の中で、私は38年間
夫という厳しい教師から様々な事を教えられた。
年令は5才しか違わないのに絶対反論できない。
論法にいつも私は負けてこっそり泣いた。
そして、夜寝る前に私なりの意見をノートに書いて
夫の枕元に置く事にした。

朝起きるとそれを読んでくれる。
そうすると私の意見も冷静に受け止めてくれるようになった。
そんなメモ用紙がダンボール3箱にいっぱいあったのを
家を建て道具を片付ける時
誰かに不要なものと思われ捨ててしまわれた。
貴重な記録だったのに、とても悲しい。
ビルを建築する時は、スタートの段階から
毎日毎日しっかりしたノートにあらゆる事を記録し残してある。

80才にもなると教えを請おうとする。
先輩の人達はもうみんな亡くなってしまった。当然の事だけど。
ひとりひとり私を助けてくれた人達の事を思い出し
あの方だったらどういうだろうか?
と困った時には私の頭の中で考えてみる。
どの方もみんな私よりはずっと優れていた方ばかり。

そして今は、新しい様々な道具(というべきか)や
考え方を大学生のような若い人達に私は今は学ぼうとしている。
でも人間は生きた時代の汗や涙は忘れられず
前進するのが難しい。

しかし、私はもうひとつ残る時間で完成したいと考えている事がある。
私に運があれば神様も助けてくれる事を信じて・・・。

 









読書の秋です。
ぜひお気に入りの一冊を
当店で見つけて下さい!



























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