2013年11月20日水曜日

人間も成長して花を咲かせて散ってゆくもの

人生とはかくも厳しく、
そしてかくも楽しいものだろうか。
80年生きてみて何人の人に会うと別れを
繰り返した事だろうか。
どの人もどの人も私の心の中には
永遠に生きている。

子供の頃は家族が中心。
私は、父・母・祖父母にも恵まれ
一緒に寝ていた祖母からは
沢山の昔話を聞かせてもらった。
そして、第2次世界大戦が始まり、
日本は負け戦であるのに
真実を国民は知らず
唯々うろたえるばかりだった。

そして私は、小学校3年の時
父(33才になり子供が5人もいる)を
召集兵として高松のサンバシで見送り
終に父は2度と再び我が家へ
帰る事はなかった。

女学校1年の夏の夜中に
役場の人が知らせに来た。
我が家はそれから津波が来たような
大騒ぎになった。
戦病死となっていたが
それらは皆野垂れ死にだと
多くの人から教わった。

私は、とにかく学力をつけ
日本の国内でナンバーワンの
活躍をする事に目標をおいた。
しかし、重い通りに進まないのが事の常
なんとかして自力で京大へ入学するべく
計画を立て実践に移しつつある時
亡き夫を紹介され
素晴らしく立派な家の三男だし
私の好きなタイプであったこと
その上話が実に明快で
「東京へ来ればいくらでもある。
大学に行かせるから結婚しよう。」
と云われ、私もそれを真にとって
結婚に踏み切った。

失敗だったと気が付いた時にも
私の優柔不断の性格から
もう少し頑張ろう、もう少し頑張ろうと
思いつつ30年余年が過ぎ
3年目に男の子供を一人産んだ。
子供は無性にかわいい。
「これママが作ってくれた服だから
汚しちゃいかん。」と
周りの者に云い張っているのを聞くと
母性本能はフルにいっぱい。
この子がいる限り私は幸せだと思った。

大学を卒業すると次は結婚。
私の周りにも50才前後で独身の男は
沢山いるが、それはやはり不安定。
息子は結婚を帝国ホテルで式を挙げ
披露宴も行った。

そして、もう25年余。
確かに申し分なき条件である。
その中でなにが私を苦しめるのか。
自分でもよく分からない。
唯一つ云える事は、
息子は私の息子であり
結婚した女性の夫である。
それが真実であることを忘れては
いけなかった。

つまり、私は夫を亡くした時
完全孤独になったんだ。
それを充分に頭に叩き込んでなかった事が
今、私の苦しみとなって私の体全体に
浸み渡った。
しかし、私も未だ残された仕事がある。
私の生き様を書く事である。
どうか、どうか、私の心に安らぎと安心が
訪れますように、神様守って下さい。
お願い申し上げます。

人間はその年になってみないと
その時の気力、体力は想像できない。
私も80才代に入って体力の低下、
気力の衰えを初めて知った。
こうして次から次へと
人間の心は成長したり
枯れ落ちるようになってゆくのだと
しみじみよく分かりました。


 



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2013年11月16日土曜日

みんなみんな幸を持っています

人間の「幸」って何だろう?
大金持ちになる事か、
大きな企業を作って大勢の人を使って
活躍する事か、
家族が親子兄弟みんな元気に
育つ事だろうか。

「幸」とは人間の心の有様だと私は思う。
私は子供の時から高校を卒業するまで
ずっと学年の中で一番だった。
入学した時は「誓いの言葉」を読み
卒業する時にも一番で答辞を読み上げた。

そして、京大の法学部を目指して
勉強していた時、亡き夫を紹介され
大学へ行かしてやるから結婚しようという事で
はるばる横須賀へやって来た。

そんな事を信用するものの
結婚したら大学どころか
先ず英会話を修得し、一人でアメリカンセーラー
相手に仕事が出来るようになれと云う
東京神田への仕入れもやらされ
タクシー、赤帽、電車に乗って
又、赤帽に頼んでタクシーに乗り店へ帰る。
棚を増やしたいので棚板を買いに行くのも
結局持って帰る仕事は私。
2間ものの木材を横須賀の街の中を
私は持って帰った。
「これを持って帰る度胸があれば使い物になる。」
という夫の言葉を聞いて私は愕然とした。
結局、大学どころか商売の片棒担ぎになってしまった。

当時、私達夫婦は逗子海岸の近くで
部屋を借りる生活だった。そこで
家を建てるので私の母も香川県から手伝いにやって来た。
その時、部屋の大家さんから
「娘さんの生活は決して幸ではないですよ。
もし、離婚して帰ると云ったら受けてあげて下さい。
旦那は、自分独りベットを買ってそれで寝ています。
そして、年中ぶん殴られてかわいそうで
見ていられません。
奥さんは一生懸命働いています。
旦那はそれを利用しているだけですよ。」

その他具体例をあげて私の母に話したらしい。
私の亡き夫の兄弟4人は
みんな同じらしい様子だった。
それでも、私は亡き夫の泉のようにわき出るアイデアに
魅せられて泣く日も沢山あったが
離婚はせずに自分を大きくする為に
必死に食いついて行った。
でも、1年のうち何回かは死のうと思った。

横浜へ来てからは、2年間位苦しかった。
何せ20才代のよそ者夫婦なので
周囲から異様な見られ方をされた。
そのうち、子供が生まれ
この子を1人前にするまでは何としても
頑張ろうと決心をした。

南氷洋の捕鯨、北洋の鮭鱒の船が
出ていた頃は、何百万単位の売上だった。
それがなくなってしまい、商船相手中心になった。
20年間位、日本の高度成長時代に
私達も恵まれた商売をさせてもらった。
今では考えられない世界大百科事典を200セットも
売って全国第2位の成績だった。

しかし、高度成長時代が終り、
同時に船の動きも難しい面が出てきた。
そして、年追う毎に横浜港へ来る船ば
少なくなる一方売上も落ちてきた。
問屋の支払いを100%にするため
貯金も使ってしまった。

先日、いつも通院している医院で
待ち時間の時、横に座っていた70才位の人から
「私は貴方をよーく知っています。
いつもカウンターの所で [いらっしゃいませ]と
すごくすがすがしい声で迎えられるので
週刊誌でも買っていかなきゃと思って
安い本ですが貴方のキリットした姿から
私はいつもほれぼれしていました。
みんなそう云っていましたよ。
そうもう80才ですか。よく働きましたね。」
と云われ、そうか見てくれていた人も
大勢いたんだ。幸と思わねばならないと
死と表裏の年令なって
こんな私でも見てくいてくれた人もいたんだと
有り難く思った。
私は幸な人間だと
神様に有難うございましたと手を合わせた。





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2013年11月9日土曜日

人生とは何だろう

何年振りだろう、バスに乗った。
私の家の近くのバス停から大船行きに乗り
上大岡の一つ先の関の下という所で降り
農協へ行って来た。

私が契約した時は、
中区本町の歩いて10分位の所にあったのだが
3年前に地方へ分散移転したので
こうして時間をかけて年1回通わねばならない。
従来は京浜急行で上大岡まで行き、
そこから歩いて10分以上かかったので
試しにバスだけで行ってみた。

電車と異なり、街中を走ってくれるバスは
街の姿や様子が手に取るように見えて
とても楽しいなと初めて思った。
昼の時間帯だから大部分、
お年寄りとか主婦の人が多く、
若い人はほとんど乗っていなかった 。

大船が今、とても商売上良くなっている事は
目にもはっきり見えるけど
バスの中から見える上大岡周辺も
人が多くなかなか発展している事が
私はバスに乗って初めて実感した。
しかも片道210円。
安いのでびっくりした。

バスの中から見えるビル、家、商店、
みんな生き生きとして活躍している様は
人の心を明るくする。

一昨日は、地下鉄で中川(新横浜の次の駅)まで
所用で出掛けたが、地下鉄の部分はともかく
先の方へ行くと地上を走る。
これは又、マンション、マンション、マンション。
みんな新しい。
ここは20年位前までは、
雑木林の小さな山、丘というべきか
それを開発して数え切れない程のマンション群。
そのマンション中に家庭もあり、人も住んでいる。
しかし、人気は全く感じられない。
新しい街というには人がいなさすぎる。

人間は自然と共生しなくては生きられない。
一方的に人工的に開発してゆく事が
未来に対していい事かどうか疑問に思いつつ
電車の窓から複雑な思いで眺めて来た。

時間は止まる事なく進む。
宇宙にも旅行出来るようになりそうだ。
私は80才になってみて、これから先
どうなってゆくのか分からないが
人間にとって大きな幸はもうないような
気がしている。

7年後のオリンピックが終わったら
日本は、世界はどうなっているか。
見届けられるかどうか分からないが・・・。

今週より佐藤智子のブログといたします。
よろしく。




















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2013年11月2日土曜日

溺れてはいけない。がんばれ、がんばれ!

何十年振りだろうか。
私の地元の伊勢佐木町通りで
道端のベンチに腰掛けて小一時間眺めていた。
金曜日だったのに人通りは先ず先ずの様子。

かつて、50年前デパート4つ。
映画の封切り館が、松竹・東宝・新東宝・東映・日活と
全部そろっていて、私は観たい映画の時間を
調べてそのひとつの映画だけ観て
走って帰っていた時代、を心の中に思い出しながら
半世紀経った今、映画館0、デパート0。

そして出来たのが壮大なパチンコ、ゲーム屋が
10軒以上も大きな店舗も興業も占めている。
夜になると、光をまじえて美しい景観になっている。
男も女もサラリーマンも主婦もどんどん入って行く。
パチンコゲームにも新製品があるらしく
[○○入荷、本日よりお使いいただけます]
と大きく宣伝している。

ゲームは私は未経験。
パチンコは20代の時、夫が入って行くので
私も最低の玉を買い、ポツリポツリと
レバーを押していると、時々ザーッと
沢山の玉が出て来る。
ポツリポツリとしかやれない機械の時代だった。
そして、若い女性など一人もいなかった。

あの当時、たまったら横から夫の手が伸びてきて
全部玉を持ってゆく。
私は又、ポツリポツリとやりながら時間をかせいだ。
又、ザーッと出てる。そして、ザーッと出てくる。
すると夫の手がその玉を全部持ってゆく。
そんな遊び心でも商売出来た。
横須賀SATOH BOOKSTOR時代 。

それでも人件費0。
家賃は額は覚えてないが
旅館の軒先半間足らずの店だから
大した事はなかった。
私達夫婦も映画を観るか、
逗子の浜でボート漕ぎをするか。
お金のかかる事は何もなかった。

それで当時は千円札時代だったが、
紙の箱の中に千円札が盛り上がる程
本は売れた。
私は20才、夫は25才。
未だ何も分からず何も知らず
商売とはこんなに楽しいのものかと思った。

私の英語がアメリカのセーラーに通じなくて
何度夫から殴られた事か。
そこで私は近くの英語塾へ通い、3カ月位通うと
アメリカ兵なまりも聞き分けられるようになり
夫にぶん殴られる回数は減った。

私の夫の男兄弟4人は、妻をぶん殴るなんて
普通の事に思っている家庭。
みんな長男の指揮の元、
地元香川では有名な家であったので
私の夫も特別な事とは思っていなかったようだ。

そんな苦しい思いをしても別れようとは
思いもせず、それより何度か死のうかとは考えた。
私は専業主婦は一回もした事がない。
今でも娘のようなお手伝いさんに
週一回来てもらって80才の私は様々な事を
教わっている。
不思議な不思議な光景だ。

専業主婦、一寸憧れるな。
でもいやいや私にはしなくてはならない事がある。

伊勢佐木町通りも半世紀前のような
美しい光景は全くなくなった。
時の流れは早い早い。
特に最近は、滝のような流れになった。
さあ、私はどうするべきか?













 『イセザキ書房通信 Vol.17』
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